BloomField Club ( Close Encounters of Healing )

Living Willで尊厳は保てるか

日本は残念ながら終末期医療の後進国である。それでも無用な延命医療を避け、尊厳ある死を遂げるにはどうすればよいのであろうか。母の場合は、幸いにも認知症ではなく明確に自分の意思表明ができ、医師も家族も協力的でありこれは稀なことであろう。しかし一般には、認知症であったり突然の事故・病気で意識不明状態で本人の意思確認ができないケースの方が多い。この場合Living Willがなければ、日本では百パーセント延命治療がされるであろう。

延命治療は一度始めたら中止することが難しく、意識が戻る可能性がないにもかかわらず数ヶ月~数年、無理やり生物的に生かされる。その間、本人は勿論だが家族も堪えがたい精神的苦痛を受け、経済的にも大きな痛手を被ることになるであろう。

これが日本の医療の実態なのである。これを何とか打ち破ろうと取り組んでいるグループが私の目に留まった。一つは日本尊厳死協会、もう一つは須坂市の活動である。しかし、そこには何をもって終末期、即ち不可逆的状態であると判断できるのかと言う難しい問題があることも忘れてはならない。本稿では、二つの活動事例と終末期の判断の難しさについても紹介しよう。

日本尊厳死協会とは

日本尊厳死協会とは、「1976年1月に産婦人科医で、国会議員でもあった故太田典礼氏を中心に医師や法律家、学者、政治家などが集まって設立されました。自分の病気が治る見込みがなく死期が迫ってきたときに、延命治療を断るという死のありかたを選ぶ権利を持ち、それを社会に認めてもらうことが目的です。」(協会HPより)

協会は古くから尊厳死の啓蒙やリビングウィルの普及に努めてきたが、このところ会員数(会費有料)が12万人近くで横ばいになっている。やはりこのような倫理的かつ専門的問題は、国が動いてしっかり法整備しないとこれ以上の普及は難しいのではないかと思われる。例えば、リビングウィルがあっても救急車で運ばれた場合、間違いなく延命治療される。しかしそれが救命か延命かを判断するのは難しい問題である。救急医らは一刻を争って救命と思って人工呼吸や心臓マッサージを行うのであり、それが彼らに求められる責務でもある。母の主治医のI先生から、何か問題が起きても救急車を呼ばないようにと言われた。その代わり何かあったら24時間いつでも電話してください、とも言って頂いたのである。ただただ頭が下がるばかりであった。

救急時の心肺蘇生に対し、DNAR(Do Not Attempt Resuscitation)を意思表示する方法もある。欧米では普及しているが、日本ではこれから議論を起こそうと言う段階である。アメリカでは予めインフォームドコンセントが行われ医師と患者が合意した場合、それをDNAR指示書として書面化しかつブレスレットやネックレスに刻印し、常時身に着けている例もあるようだ。

須高地域の「ハッピーエンド計画」とは

須坂市、小布施町、高山村は昔から地域のつながりが強く、須高地域医療福祉推進協議会と言う組織が数年前に設立された。その取り組みの一つとして在宅で看取りができる地域づくりを始め、「リビングウィル」と「安らかな看取りのために」と言う小冊子を作成した。これを各市町村が積極的に支援しHPを通じて住民に広報され、地域でリビングウィルの文化を育む活動として展開されている。これらの冊子は非常に良くできている。特に後者は終末期に起きる諸々のことを解説しガイドしている。母が亡くなった時は、主治医のI先生から丁寧な説明を受けていたので問題なく対応できたが、その時これを知っていたらもっと安心して看取れたであろう。

このような須高地域の取り組みは素晴らしい先進事例であり、各自治体も是非とも見習ってほしいと思っている。本来なら厚生労働省が先頭に立ってやるべきものだが、頭でっかちな国の役人にはこのような現実的対応は期待できそうにない。須高と言う閉じた空間で終末期を迎えた場合は良いが、たまたまこの地域を離れた場所で終末期を迎えた場合、このリビングウィルは効力を発揮するであろうか。はなはだ疑問である。そういう意味では国が何らかの法制化をし、折角書いたリビングウィルが日本全国のどこでも効力を発揮するようにして欲しい。しかし、これには次のような厄介な問題がある。

何をもって終末期と言えるのか

いざ終末期であると判断しようと思うと、そこには一律には語れない難しい問題がある。高齢者の老衰に対しては比較的受け入れやすいが、恐らく病気ごとに基準を設ける必要があるだろう。但し、それが100%と言えないケースもあるので厄介なのである。カレン裁判を見てもそれが分かる。裁判で尊厳死が認められ人工呼吸器を外したが、自力呼吸が戻りその後7年間生きたのである。誰がこれを予想していただろうか。このように稀ではあるが、意識不明で不可逆的状態だと診断された人が生き返った例が他にもある。現代医学では、まだまだ100%解明できていない事が沢山ある。

もう一つ考慮すべきは、近年のスーパーコンピュータの発達に伴う分子・細胞レベルでの医療の著しい進歩である。例えば、最近の癌治療は新たな転換期を迎えようとしている。それは、オバマ大統領の一般教書演説にも登場したプレシジョン・メディシンである。これは癌細胞を遺伝子分析し欠陥を持つ遺伝子を調べ、それに対する分子標的薬を投与して癌細胞を消滅させると言う画期的な方法である。日本でも医療界挙げての大プロジェクトが始まっており、数年後には飲み薬で簡単に治る病気になるのも夢ではないかもしれないのである。他にもノーベル賞をもらった山中教授のIPS細胞の活用により、再生医学が急速に発達しようとしている。即ち、終末期判断は医学の進歩に素早く追随しなければならないのである。

母と蓼科にて(1年前)

医療の分野は素人には難しい専門分野である。実際に母が息を引き取った時、本当に亡くなったのか否かの判断が難しかった。昏睡状態に入ると、無呼吸状態が起きることがしばしばある。見ているとそのうち呼吸が戻るのではと思えてきて、簡単に亡くなったと割り切れない気持ちになる。恐らくこの時に心肺蘇生すれば息を吹き返す場合もあるのかもしれない。主治医のI先生が駆けつけて来て死亡確認をされるまで、これが母が望んだ臨終の姿であり天寿を全うしたのだと言い聞かせるしか無かったのである。

FavoriteLoadingAdd to favorites

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください