BloomField Club ( Close Encounters of Healing )

母の Living Will に学ぶ

11月28日に、母は満90歳で永眠した。目に見えて体調が悪くなって約1.5ヶ月、食べられなくなって約5週間、寝たきりになって約2週間であった。これまで終末期について考えたこともなく、ましてや日本の終末期医療の実態については全くの不勉強であった。母が亡くなるまでの1ヶ月、終末期はどうあるべきかを考えて来た。この機会を与えてくれた母に感謝するとともに、母のLiving Will(生前意思表明)に接し感じたことを皆さんに伝えたい。それが皆さんの今後の生き方に少しでも参考になれば幸いである。

自宅で看取る

母の死因は膀胱癌であった。尿検査の結果、尿中核マトリックスプロテインという腫瘍マーカーが500以上と分り、大学病院での精密検査が必要と言われた。普通であれば、カテーテルもしくは開腹による癌摘出手術、さらには抗癌治療と進むことになる。しかし、母はそれを頑として望まなかったのである。90歳と言う高齢の母にとって、検査や抗癌治療は苦痛以外何ものでも無かったのであろう。私たち家族は、少しでも長く生きて欲しいという思いと苦しませたくないと言う思いの間で気持ちが揺れ動き、なかなか決断が出来なかった。それでも母の意思が固かったお蔭で、最後は母の意思に沿った看護をする事で家族の意見はまとまった。そして11月28日の未明、自宅ベットで眠るように長寿を全うするまで、母に寄り添う事が出来たのである。亡くなる5日前、お見舞いに来てくれたひ孫の顔を見て『可愛いいね』と言った母の言葉が、私の脳裏に焼き付いて離れない。

点滴治療をやめる

主治医のI先生は、膀胱癌と判明したあとも通院での点滴とエレンタールという栄養剤の摂取を進めたので、私たち家族はそれに従っていた。しかし、母は「えらい! えらい!」を繰り返すばかりであった。「えらい」とは、甚だしく身体が辛い状態を言い表す名古屋の方言である。I先生にそれを伝えると、点滴とエレンタールでは塩分(ナトリウム)が十分補給できないためであろう、との説明があった。点滴通院を始めて2週間もすると、日に日に体力が衰えベッドから起きれなくなってしまった。そこでI先生に今後の診療方針を相談すると、『在宅で点滴し延命することも可能だが、どうするかは家族で決めて欲しい』と言われた。

ここで初めて、母への点滴治療は救命ではなく延命であったことに気付かされたのである。点滴は延命できるが母の苦痛を長らえることに繋がる。しかし、やめる事は母の死期を早めることになってしまう。この時、私たち家族には大変重い決断を迫られたのであった。

家族だけで送る

5年前に父が亡くなった時、通夜・葬儀は母の強い希望で子供以下の身内だけで行った。今回もその意思を尊重し同様の家族葬で行った。現在でこそ死因は膀胱癌と分かったが、昔なら90歳という高齢を考えれば老衰で大往生したと言われたのであろう。家族葬には、ひ孫7人を含む総勢20名が全員出席した。通夜や葬儀の前には、小学3年生を筆頭にひ孫たちが仲良く遊んではしゃいでいたが、誰一人それを咎めることは無かった。むしろ草葉の陰から仲睦まじい様子を見て、母は大変喜んでいるのではないかとさえ思われたのである。そんなひ孫たちが大祖母ちゃんへの焼香を真剣な顔してやっているのを見ると、やはり家族の絆や繋がりの大切さを改めて感じたのである。そんな母を愛し母に愛された人たちに囲まれ天国に見送られ、母も満足してくれていると信じているのである。

今回、延命治療はしない自宅で逝きたい家族だけで見送って欲しい、と言う母の明確な Living Will があったからこそ、私たち家族もスムーズに対応できたと思われる。やはり自分にとっても残される家族のためにも、自分の生前意思を Living Will に記しておくことは大変重要なことであると、深く考えさせられた1ヶ月であった。

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