2つ目の目的地は、妻を帯同し2001年から3年間駐在したデトロイトである。駐在生活は決してバラ色では無く、これまで経験したことのない苦労の連続だった。しかしその反面、ここでの生活は私達の人生観に大きな影響を与え、且つ自己成長を実感する絶好の機会にもなった。今の自分達があるのはデトロイト生活のお蔭である、と言っても過言では無いと思っている。そんなデトロイトは第2の故郷のような所、だから郷愁の思いが強いのである。では今回のデトロイト滞在について紹介しよう。
デトロイトとは
先ずデトロイトと聞くと、自動車の町もしくは治安が悪い工業都市のイメージが強いかもしれない。確かにダウンタウンは貧困層が取り残され、今でも荒廃したイメージが強く残っている。しかし、郊外には富裕層が暮らす豊かな住環境の町が広がっており、それら全体を合わせてデトロイト・メトロポリタンと言う大都会が形成されている。東京メトロポリタンと比較すると東京23区がダウンタウン、都下・神奈川・千葉・埼玉が郊外の町に相当する。ダウンタウンは寂れているが、郊外は自然豊かで広々とした高級住宅街が続く。あたかも軽井沢や蓼科の別荘地帯の様である。また種々のモールや商業施設が近くにあり、利便性は高く合理的な社会システムと合わせて非常に棲みやすい街である。恐らくデトロイト郊外を見ると、誰しもそのイメージが一変するに違いない。
- デトロイト・メトロポリタン
私達が住んでいたのはウェスト・ブルームフィールド市で、数十年前に開発された比較的古い居住区が多い。その代わりに木が大きく敷地も広いので、ゆったりして落ち着いた雰囲気のある住宅中心の街である。今回駐在時に住んでいた家を訪れたが、昔と全く変わって無かったので余計に郷愁をそそられる。たまたま同じサブディビジョン内で、ガレージセールをしていたので立ち寄ってビックリ。何と偶然にもそのガレージ・セールは、2度目の駐在中の知人宅だった。
- 駐在時に住んでいた家
- 知人宅のガレージ・セール
馴染みの店巡り
今回のデトロイト訪問は、駐在当時よく利用したショップやレストランを再訪するのが主目的である。最初はスーパーについてだが、競争が激しく大手への吸収合併が進んでいた。
- Hillers:Krogerに吸収された食料品スーパー。最も近いお店はスポーツジムに変わっていたが、次に近い14 Mileのお店は昔のまま残っていて健在だった。
- Nino:Pomodorosに名前が変わった食料品スーパー。多くの花が飾られたイタリア系のお店らしい雰囲気は昔と変わってなかった。
- One World:ノバイにある日本食材店。貸本コーナーが無くなり、日本酒とお寿司コーナーが充実していた。掲示板がありガレージセールや教室など日本人向け情報が相変わらず豊富。日本人が多いエリアにあるのでここは健在だった。
- 昔と変わらない日本食材のお店
- 充実したお酒コーナー
次はレストランについてだが、お気に入りだったレストランも閉店してしまったりオーナーが替わったりしていた。
- Shangri-La :飲茶が美味しい中華。週1回は通っていたお馴染みのお店。オーナーが代わったようだが、飲茶は昔と変わらず美味しかった。まだ当時の店員がいて「Long time no see」と声をかけられ、驚くと同時に嬉しかった。
- Hong Hua :北京ダックが美味しい中華。宴会やディナーで良く利用したお店。オーナーが代わり味が落ちたとの噂があったが、私達には昔と変わらず美味しかった。ニューヨークの中華と比べると、こちらの方がリーズナブルな料金で美味しい。
- Sanpei:庶民的な居酒屋レストラン。自宅から遠かったが時々利用した。前オーナーが高齢でリタイヤしたが、味も内容も昔とほぼ変わらない。但し、鴨鍋が1人用鍋になってしまったのは、ちょっと残念。
- Ajishin :寿司とうどんが専門の和食レストラン。お昼時は相変わらずの繁盛ぶりで、京風カレーうどんは日本で比べても絶品である。ここは変わらず健在だった。
- 飲茶が美味しいシャングリラ
- 鴨鍋が美味しい居酒屋・三平
最後はショッピングについてだが、小規模のモールや全国展開の大型店が住宅街近くに沢山点在し昔と変わってない。今回はお土産の購入の目的もあり次の3つの大規模モールを再訪した。
- TwelveOaks:ノバイにある庶民的なショッピング・モール。3つのデパートと数多くの日常的に利用するショップが沢山入っている。
- Somerset:トロイにある高級志向のショッピング・モール。4つのデパートと多くのブランド・ショップが入っている。
- Great Lakes:デトロイト郊外から1時間くらい離れたアウトレット。アメリカン・ブランドが充実しており、屋内型の施設なので雨でも利用しやすい。
- サマーセットのイベント広場
- グレート・レイクスの入口の一つ
今回、色々と馴染みのお店を回ったが表面的には変わっておらず、駐在生活が懐かしく思い出された。十数年経った今でも当時の思いが自然と蘇り、しばし郷愁に浸ることができた。
おまけ ~貴重な人生経験~
デトロイト郊外は住環境としては素晴らしいが、駐在員には色々な苦労が付きまとうものである。ただプライベートなことなので詳しくは述べられないが、私たちの経験が少しでも参考になればと思い2つの葛藤の克服について追記することにした。
一つ目は、国民性やビジネス環境が日本とは大きく異なることからくる葛藤である。現地人には日本風の考えや日本式マネージメントは通用しないが、日本(本社)からはそれを要求される。駐在員、特に職位が高ければ高いほどその間に挟まれ、苦悩の日々を送ることになる。しかしこれは人間を磨く絶好の機会でもあり、自分を大きく成長させ人生観まで変えることになるかもしれない。私の場合は特殊かもしれないが、アメリカに10人のボス、日本に3人のボスがいるような立場だった。即ち13の組織を一つの方向に動かすのが仕事で、あちらを立てればこちらが立たずの状態だった。しかしここで音を上げたらアメリカに来た意味がないと、何度も自分を奮い立たせ遂行した。このデトロイトでの駐在経験により、自分でも驚くくらい人としての成長を実感し、貴重な体験ができたと感謝している。
二つ目は、デトロイトには1万人の日本人が住んでいるにも関わらず、依然として存在する日本人村社会の中で起きる葛藤である。赴任当時はまだ日本人コミュニティーが作られたころの慣習が色濃く残っていた。日本人が少ない頃は必然だったことでも、環境が変わると障害になってしまう事が多々ある。日本人繋がりの仕事上の利害関係が、私生活や日常にも及んでくるのが駐在生活である。特に奥様方は、本来自分とは関係ないはずのご主人の仕事の上下左右の関係が、日々の生活の中にまで影響してくることが多々ある。特に若い人ほど立場が弱いので、大きな葛藤に陥り精神的ダメージを受ける人もいる。私の家内はそんな中で若い人達の声を聞き立ち上がり、目に見えないバッシングに苦しみながらも悪しき伝統を変えようと頑張った。その必死さに多くの人の共感が得られ、時代に即した形に変わり始めたのである。私はそんな家内の姿をとても誇らしく思い、後方支援に勤しんでいた。
帰任後15年も経つと、当時の苦労はほろ苦い郷愁に思えてくる。たった3年ではあるが、二人ともデトロイトに自らの足跡を残せたと感じ取ることができる。デトロイトはいつまでも特別な思いがする街である。

